ウラジオストクマラソンに出てみよう<その2:レース編>
事前準備に関連する記事はこちらです。
後編はレースについて、時系列で注意点などを書いてみました。
レース前
シャトルバス
シャトルバスは受付会場の中央広場から出ます。時間は6時から8時で、フルのスタート地点までおよそ30分でした。バスはフルもハーフも5kmも一緒のバスです。バスに乗り込んだ後、英語で最初のストップが5km、次のストップがフル、最後がハーフとのアナウンスがありましたがこれは要注意です。スタート時間がバラバラのため、私のバスには5kmの人がいませんでしたので、最初のストップがフルのスタート地点でした。私は仲良くなったロシアの方に教えてもらいましたが、「私は42kmなんだけど」とアピールして周りに聞いた方が良いです。アナウンスが無かったという体験談もありますので、いずれにせよアピールが大事です。
スタート地点
2017年はDNSを除いたフルの参加者が220人だったため、スタート地点の混乱はほぼ皆無でした。したがって時間を持て余しました。私はレジャーシートがあったので座って時間をつぶせました。レジャーシートはお勧めアイテムです。
仮設トイレは合計5基だったため、最後の方は少し列が伸びました。残念ながら手洗い場がなかったため、私は給水の水を手洗いに使いました。
荷物は受付で渡された布のバッグに入れるよう指定されていますが、それを守っていない人も見受けられました。荷物預かりのトラック前に荷物を持っていくと、荷物にラベルが貼られ、自分のゼッケンにも同じ番号のラベルが貼られます。当初ラベルは事前配布となっていましたが、現地対応でした。人数が少なくみんなが早く荷物を預けるので、早目(少なくとも20分前)に締め切られました。
レース
スタート
5分前くらいまで変な踊りのような体操をやっててゆるい感じです。
一応ブロックはありますが、管理は適当です。そもそもブロックの立て札の間隔がかなり狭いのでほとんど意味がないです。220人が4ブロックですから・・・
スタートは9:00ちょうどだと思っていましたが、9時04分50秒くらいでした(笑)また、スタート前に練習したのか暴発したのかピストルが突然鳴って「えっ?」となりました。そしてスタート本番ではピストルは鳴りませんでした(笑)
スタート直後から混雑がまったくなく快適に走れますが、最初が下りなのでスピードの出し過ぎに要注意です。
前半
前半はルースキー島を走ります。ひたすら森の間を貫く大きな道路を走り、たまに軍や大学の大きな施設があるという感じです。一般の住宅はありません。アップダウンは一つ一つは大きくないものの結構あります。
応援者はほぼ皆無です。
軍人さんや見習いの生徒がよく歩いていますが、勿論応援はありません・・・
7km地点くらいでハーフのスタート待ちの方とスタッフに熱い応援を受けますが、そこを過ぎると再び静かになります。なにせ参加者が少ないため、ハーフの参加者をキャッチするまでは孤独な戦いが続きます。
ロシアではフルに挑戦するのは本気の人で、それ以外の人はハーフに出るようです。したがってゆっくり完走できれば良いやという人は同じペースの人が少ないため、特に孤独を味わいます。またコースの案内も少ないため、コースアウトの危険性もあります。2017年大会ではサブファイブの方でもコースアウトしそうになったと言っていました。
後半
サブフォーくらいのペースだと、ハーフの後ろのランナーを次々捉えていくこととなります。ハーフの後ろは初心者が多く、給水で止まる人が多いので注意しましょう。
30kmポイントを含む長さ3,100mのルースキー島連絡橋がこの大会のハイライトのひとつなのですが、まずここに来るまでにアップダウンで足を使います。景色を楽しみながら一気に下ると、ここから最もハードなアップダウン区間が続きます。30kmで足が残っていないと残りは歩く羽目になります。
最後の大きな橋、金角湾横断橋を渡ると、今度は急傾斜の下りとなります。足を使った中での下りですので、これも注意が必要です。
一部隣を走るケーブルカーのこの傾斜に近い部分もあります。これを下りきるとあとはほぼ平坦です。
ゴール地点は街のメイン通りとも呼べるところなので、人はたくさんいます。が、あまりマラソンには興味が無いらしく、応援はしてもらえません( ;∀;)ゴールに到達するとようやくスタッフの温かい拍手に包まれます。
ゴール
ゴールすると、42.195kmではなく、42.2kmのメダルが貰えます。これは貴重ですね(笑)
荷物預かりのテントの横では軍人さんが食事を振る舞ってくれています。軍では定番のカーシャというものです。私は残念ながらいただけませんでしたが、軍の炊き出しは特に美味しいそうです。
レース全般
コース
GPSデータからルートラボで作成した大まかな高低差です。これは実際よりギザギザが細かすぎるように思いますが、このマラソン最大の特徴はとにかく高低差にあります。ウラジオストクは坂の街なのです。中心部の一部が平坦ですが、他はどこに行っても坂が有ります。マラソンコースも例外ではありません。
上の図を見ると後半、特に30kmを過ぎてからの山ははっきりしているのがわかります。30km過ぎからの坂はひとつひとつの高低差も大きく距離も長いため難易度が増しています。
給水
給水はたっぷりありますがスポーツドリンクがめちゃめちゃ薄いです。また、給食はバナナが前半から用意されています。水と同じカップにレーズンが入っていたということもあったようですので、注意ください。
2017年大会のエイドの位置は以下の通りです。5km, 10km, 14km, 18km, 23km, 28km, 34km, 36km, 39km, 41km。
給水ボランティアはとても献身的で、水やスポンジを持ってきて手渡してくれます。
ペースメーカー
サブ3.5、サブ4、サブ4.5のペースメーカーがいます。サブ3.5のペースメーカーはペースが乱れがちで最終的にサブ3.5を逃していました。
気候
2017年大会は、夜中に激しい雷雨がありましたが、スタート時はスカッと晴れて、寒さは全くありませんでした。レース中盤~後半は暑さとの戦いでした。天気予報に関しては体感的にtenki.jpの予報がほぼ正しかったです。風はありましたが弱かったです。
レベル
トップが2時間24分ですが、平坦なら2時間20分を切るタイムでしょう。賞金も出るのでトップのレベルは高いです。サブスリーは10人もいないので、サブスリーをすればトップ10です。
こちらが2017年大会のタイムの分布です。タフなコースでしたがサブファイブの率が高いです。ある程度のシリアスランナーが多いように感じましたが、データからもそれがわかります。
総括
私の結論から言うと、お勧めの大会です。お勧めのポイントをまとめると以下になります。
- 日本から近いのに異文化の中でのマラソンが楽しめる
- 橋の上からの景色がとても綺麗
- 9月開催だが危険な暑さになる確率が低い
- 人数が少ないおかげで混乱がなく、サービスも行き届く
ただし以下のマイナスポイントがあります。
- アップダウンがきつい
- 沿道に人がほぼおらず、いても応援してくれる人はいない
- ランナーも少ないため単独走となる区間もある
2017年大会は、日本人参加者がフルとハーフを合わせてわずか12名でした。とても良い大会だと思いますので、これが参加を検討する際の一助になれば幸いです。
今回の記事を書くにあたって、2017年大会に参加した方々に推敲、情報提供、写真の提供をいただきました。この場を借りて感謝申し上げます。
ウラジオストクマラソンに出てみよう<その1:事前準備編>
9月23日にウラジオストクで開催された、ウラジオストク国際マラソンに出てきました。出場にあたって色々調べたのですが、あまり情報が出てきませんでした。私はとても楽しい思いができたため、せめてもの恩返しに私の経験を記してみたいと思います。
ウラジオストクマラソンって?
ウラジオストクはロシア極東にある人口60万人の街です。地図で見るとあまりにも近くて驚くと思います。日本から2〜3時間の距離にありながら、ヨーロッパの街並みと文化を楽しむことができます。
ウラジオストク国際マラソンは、そんな街並や、APECのために作られたルースキー島連絡橋、以前は入ることができなかったルースキー島の景色などが楽しめます。
動画で一部魅力が伝わると思います。ただし、この動画からはコースを考えた人を42回は罵りたくなるタフなアップダウンは伝わりません。これは覚悟して臨んでください(笑)
エントリー
まずこの大会が素晴らしいのは、日本語のサイトがちゃんとあることです。エントリーもギリギリまで受け付けており、よほどの革命が起こらない限り満員にはなりません。2017年はフル1,000人の枠で、エントリーは246名でした。
エントリーの時に必要な入力項目は失念しましたが、特に迷うようなことはなかったと記憶しています。ただ、日本語で入力するとエントリー情報の照合に時間がかかるようです。その代わり日本語の名前でリザルトが出てきますが。
なお、大会関連のメールは"russiarunning.com"というドメインから、そしてエントリー確認は"platformaofd.ru"というドメインから来ます。私のhotmailだと迷惑メールに自動分類されます。メールが見当たらない場合は迷惑メールフォルダを見ましょう。
準備
エントリーができたら飛行機と宿です。私は大使館に出向いてビザを取得しましたが、これについては簡易取得が可能となったので次項で説明します。
航空券
2017年9月現在、日本とウラジオストク空港を結ぶ便は、成田と関空へオーロラ航空とS7航空が定期便を就航しています。飛行機に関してはgoogleのフライト検索がまず入り口として良いと思います。検索してわかると思いますが、飛行時間めちゃめちゃ短いです。ほんと近いんです。
宿泊
宿ははっきり言って選び放題です。私はbooking.comを利用し、受付場所から徒歩3分の場所に2泊1,100ルーブルのドミトリーを取れました。格安なのでどうかと思いましたが、結果的に非常に清潔で安全な宿でした。
参考までに私が宿泊したのはこちらです。
ホステル アトモスフェラ (ロシア ウラジオストク) - Booking.com
英語は通じませんが、google翻訳のロシア語⇔英語翻訳でどうにかなりました。
ビザ
以前は
- 旅行会社にお金を払って招待状を発行してもらう
- 招待状を持ってロシア大使館に行ってビザ申請をする
- 二週間後にビザを受け取りに行く(手数料を払えば短くなります)
という手続きを踏む必要がありました。受付は平日午前だけなので、平日自由に動けない人にとっては厄介でした。ビザ申請まで旅行会社に代行をお願いできますが、それも費用がかかります。
しかし2017年8月より、ウラジオストクの空港と港での出入りに限り、8日間以内の滞在であればインターネットからの申請だけで簡易取得できるようになりました。こちらは以下のサイトに詳しく手順が記されています。
出発と入国
私は成田発のオーロラ航空を使いましたが、第1ターミナルは人が少なくてスムーズに搭乗口まで行けました。飛行機自体も4列のプロペラ機で乗客は少なかったです。
私が現地に到着した時はイミグレーションも空いており、質問も特にされず非常にスムーズでした。また、入国審査や税関のために記入するカードも特にありません。
両替
私は成田空港の銀行で替えましたが、レートが非常に悪いです。最低限の金額だけ替えて、あとはATMから銀行のカードかクレジットカードのキャッシングで下ろすほうが良いと思います。ATMは空港にも街にもたくさんあります。ただし現地の方の話として、キャッシングができなかったなどという話もあるので、カードは複数持って行くのが無難でしょう。
<参考レート比較(1ルーブル=)>
- 成田空港、関空:2.44(提携旅行会社利用やクーポン利用で2.3)
- 現地銀行:1.93(営業日要注意)
- クレジットカードでの買い物:1.99
空港から 市内への移動
ウラジオストク空港は市街地から40km以上離れています。アクセスは安い順にバス、電車、タクシーの3種類あります。
バス
空港を出たところの道路の中央にバス停があります。107番のバスで市街に行けます。詳しくは空港のホームページに掲載されています。バスの所要時間は1時間半くらいのようですが、市街に向かう幹線道路は渋滞することがありますのでご注意ください。料金はウラジオストク駅まで150ルーブルです。時刻も料金もgoogle mapでも確認できます。
電車
これが一番早くて確実です。所要時間は1時間弱で、料金は230ルーブルです。
しかしいかんせん本数が少ない・・・こちらも空港のホームページに出ています。私は帰りの電車の時刻が4分違っていたのでご注意ください。
タクシー
私は急いでいたためタクシーにしました。
空港にあるTAXIと書かれたカウンターで申し込めます。料金前払いで1,500ルーブルです。料金を払うと番号が書かれたレシートをもらえます。空港出口を出て、正面に進んで駐車場の方にある"TAXI"の表示のあたりに来てくれます。
所要時間は60分との情報がありましたが、渋滞に巻き込まれて1時間半かかりました。
尚私が利用した時は受付の女性の態度が非常に悪く、5分待てと言われて15分後にようやく来たタクシーが実は相乗りという目にあいました。相乗り仲間が日本人グループで良かったのですが、私も別グループの方も1,500払っているので、二重取りされました。
急ぐ事情がなければバスか電車をおすすめします。
逆ルートの市内→空港だと1,000か1,100ルーブル程度でいけるようです。必ず宿泊施設に予約してもらいましょう。こちらも渋滞に注意が必要です。
受付
受付は中央広場のテントで・・・行われているはずでした。が、テントに行ってみると場所変更の案内が。
今回はこちらに移動していました。2nd floorは日本と同じ考え方の2階です。
ここの窓口は比較的英語が通じます。まずエントリー後に送られてきたロシア語のメールを渡せば番号を教えてくれます。健康診断書を求められますが、これは「ない」で通りました。しかしながらロシア語サイトにはその注意書きがあるので、心配なら持参したほうが良いでしょう。
番号が書かれた紙をゼッケンの係に持っていきゼッケンを受け取ると、目標タイム別のブロックを自分で選べます。が、ぶっちゃけ220人しかいないので、AでもDでも大差ありません。注意として安全ピンを渡されないこともあるので、必要な人は持参しましょう。
当日受付もやってます。人数が少ないので当日でも混乱はなさそうです。当日受付の場所はスタート地点となります。また、荷物預かりのラベルは事前配布のはずでしたが、当日配布に変更となっていました。
その他
スーパー
到着が遅くなりレストランに入るのはなあという時、翌日の食料をもう少し買いたいなあという時、こちらのスーパーがおすすめです。
24時間営業との情報があります。夜10時過ぎまでやっていることは確認しましたが、アルコールの販売は夜10時までですのでご注意ください。
パンも手作りのものが大量に置いていますので、糖質の補給もできます。精算にクレジットカードも使えます(VISAとMASTERのラベル確認)。
通信
宿の情報を調べる限り、ほぼWi-Fiはあります。しかし街中にはあまりありませんので、Wi-Fiルーターのレンタルをお勧めします。私はいつも価格コム経由で申し込みます。今回はLTE250mb/日プランで、3日間1,980円でした。SIMフリー端末を持っていれば、ウラジオストク空港でSIMを購入することも可能です。
2019年2月更新情報
SIM
ウラジオストク空港のアライバルゲートすぐ近くに赤い看板のMTSが、そして空港出口を背に左手に行くと黄色いBeelineのカウンターがあり、それぞれSIMを購入できます。私はMTSで500ルーブル払いましたが、これで5Gb使えるとのこと。パスポートとスマホを見せれば勝手にAPNの設定までしてくれます。
なお、どちらのキャリアもLTE対応バンドは3, 7, 20, 38とのこと。au向けの端末は基本的に使えないので注意です。
バス・電車時刻
空港ホームページの情報はあまりあてにならないため、時刻表を載せます。空港から市内への107番バスの2019年2月時点での時刻がこちらです。
また、ウラジオストク駅から空港までの電車の時刻はこちらで確認できます。空港ホームページは基本的に信じないようにしたほうが良いです。
https://www.vl.ru/transport/aeroexpress
この記事の続きはこちらです。
自転車王国オランダからのゲスト
今日は取引先のオランダ人と中国人を一日中車で連れ回しました。40代前半と思われるオランダ人の彼がなかなかの自転車乗りで、色々と興味深い話が聞けました。
彼は今回新たにアジア地区の担当となったということで初来日。オランダ人が来るということで、自転車の話とサッカーの話でもしようかなと思っていましたが、自転車の話に結構食いついてきてくれたため、移動中は仕事の話と自転車の話が4割ずつ、その他の話2割という感じでした。
■オランダの自転車道
まずオランダは自転車道が35,000kmあるということに驚きました。自転車道が整備されているのは知っていましたが、日本より狭い国土に35,000kmというのはすごいです。日本は調べると10年前のデータですが、自転車のみの通行が確保されている道路は2,530kmとのことです。
<国交省資料>https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/bicycle_environ/1pdf/3.pdf
10年経った今であれば増えているでしょうが、倍になっていたとしてもオランダの1/7ですからすごいですね。
■競技としても人気の自転車、それに感化される子供も
自転車は競技としても国民の注目を集めます。ツール・ド・フランスでオランダ人のファンがラルプ・デュエズで熱狂的に応援する姿は有名です。
彼の12歳の娘さんは、リオ五輪でオランダ人選手が金メダルを取った(調べたところアンナ・ファンデルブレーヘン選手)ことに感化され、私も自転車で金メダルを取ると息巻いているそうです。
そこで彼はそれならトレーニングが必要だねということで、ツール・ド・フランスで有名なモン・ヴァントゥに今度娘さんと一緒に登りに行くそうです。ヨーロッパは陸続きなんで、そうやってフランスにすぐ遊びに行けるのが良いですね。
他にも家の近くでシクロクロスの大会なんかも開かれるため、見に行ったりしたようです。
■オランダだけではない欧州の自転車を楽しむ文化
友人たちとスペインのマジョルカ島に自転車を楽しみに行ったそうなのですが、その時の話が今回一番印象的でした。
まず驚いたのがツアーの金額です。オランダとマジョルカ島の往復航空券、四つ星ホテル2泊しかも朝食付き、レンタサイクル3日間、これが全てセットでなんと350ユーロ。しかも自転車はちゃんとしたロードバイク。
ロードバイクを貸してくれるだけでもすごいなあ、なんですが、それだけではありません。事前に自転車のサイズを指定できるとのことです。だからペダルとサドル、それにヘルメットとウェアを持っていけばいつも自分が乗っているのと同じ感覚で自転車に乗れちゃうんです。このサービス素晴らしいですよね。
日本でもサイクリングロード近くで自転車が借りられるところは結構あると思いますが、サイズまで指定でき、自分のパーツを装着させてくれるというんはないのではないでしょうか。
自転車が好きで自転車文化についても色々と考えている自分としては、今日の話は本当に刺激的でした。
ちなみにオランダ人の彼は4日間で800km以上走ったことがあるという、結構ガチな自転車乗りでした。日本でおすすめの観光スポットを聞かれたので、次来た時は京都に行くべきだと言ったところ、「キョート?自転車でそんなブランドがあるだろう?スペルはKUOT...」おい、それはKUOTAだ。しかも日本じゃないぞ(;^ω^)いやあ、なかなかの自転車大好きおじさんでした。楽しかったです。
自分自身毎日自転車通勤していますが、毎日一時停止、信号無視、通行区分無視の自転車を見ます。場所によっては一時停止無視が99%というところもあります。本当に日本の自転車文化は酷いと思います。インフラも人々の意識も、いつの日かオランダみたいになったらいいですね。
さいたま国際マラソンの結果を更に分析する
前回のブログは2年ぶりの更新だったのですが、文章を書くということが結構楽しい作業だということを思い起こしてくれました。書きたい気持ちがあるうちにまた更新します。
自分の頭を整理するためにも、今回はなぜサブスリーが達成できたのかをもう少し踏み込んで分析したいと思います。
肉体的には3つ、それ以外で2つ思いついたので、それぞれ列挙します。
1)VO2MAX(最大酸素摂取量)の向上
残念ながらレース本番では心拍計が全然機能しなかったため、正確なところはわかりませんが、170bpm程度の心拍数で終始走りきれたものと思われます。3週間前の30kmレースのときには、練習での疲れを残している状態でもラスト5周まで安定した心拍で走れていました。筋力の向上と合わせて、インターバルトレーニングでの心肺機能強化が顕著だったと思います。
2)筋力の向上
これはインターバルは勿論、登山によるものが大きかったと思います。激坂コースの越後湯沢を除くここ数レースの中では、1月のハイテクハーフマラソンと並んで最も長いストライドで走れました。腹筋を鍛えたことも長いストライドでの着地、蹴り出しの繰り返し動作を安定させたのだと思います。
日付 | 大会名 | ペース | ピッチ | ストライド |
---|---|---|---|---|
'15/11/15 | 第1回さいたま国際マラソン | 4'39" | 188spm | 112cm |
'16/1/10 | 第17回ハイテクハーフマラソン | 4'12" | 192spm | 122cm |
'16/1/31 | 第64回勝田全国マラソン | 4'34" | 188spm | 114cm |
'16/10/15 | 彩の国マラソン30km&フル | 4'15" | 198spm | 116cm |
'16/11/13 | 第2回さいたま国際マラソン | 4'10" | 195spm | 121cm |
ピッチも速くなっているのですが、ここはまだ勉強不足でわかりません。彩の国マラソンでは最後の一周はかなり無理をして上げたため、ピッチが速くなりました。逆にさいたま国際マラソンではほぼ一定のピッチでした。このあたりが今後まだタイムを伸ばせる要素だと思います。
3)体重減
レース2日前の朝が54.9kg、レース当日朝が57.1kgでした。これはここ数年の中では最も軽かったと思います。2週間の糖質&アルコール完全カットが効きました。ちなみにレース後の打ち上げ含めて一週間で4回飲み会して見事に戻しました(;^ω^)
ここまでが肉体的な要因です。
4)補給食の携帯
今大会、RUNNETのレポートで酷評されている原因の一つが給食です。自分は去年の大会レポートでも、最初の給食が27kmというのは遅いと指摘しました。主催者は去年の段階からランナーの声を真摯に聞いてほしかったです。去年の経験があったので、PowerBarのジェル2個とアミノバイタルプロを3個パンツに忍ばせ、10km、20km、27km(アミノバイタルプロのみ)で摂取しました。
ゼッケン番号が若い人の記録をランダムにいくつか見ましたが、後半ガタ落ちの人が多かったように思います。前半から自分のように携帯食を摂っている人は見なかったので、ここの差は結構大きかったと思います。
5)的確なペース配分
自分は前半ハーフがネットで1:28:44、後半ハーフが1:27:55でした。前述のように後半ガタ落ちの人が多い中で、わずかとは言え後半上げられたのはレアだと思います。事実30km過ぎからはほぼ誰にも抜かれませんでした。今回は前半抑えて、抑えてという意識も当然有りましたが、コースが全て頭に入っているために終始リラックスして走れたことも最後まで余裕を持って走りきれた要因だと思います。
以下は余談ですが、オールスポーツのゴール前画像を見たら面白い発見がいくつかありました。まず、自分の直前にゴールした方は前半90分、後半ざっくり86分と、自分が理想とするようなネガティブスプリットでした。多分自分よりハーフが遅くてゴールは早かった唯一のランナーだったかと。また、3時間のペースランナーが自分のすぐ後にゴールしました。難しい役割だとは思いますが、ポジティブスプリットで2時間56分台で走られては・・・まあ自分は無視しといてよかったです。
なんかマラソンブログっぽくなっちゃいましたね。しかも結構偉そうに書いちゃいました。
次回のフルは勝田全国マラソンです。VO2MAXと筋力はまだ上げられると思います。大会で足の甲あたりの筋を傷めてしまい、走れない状況ですが、12月になればまた練習再開できるはずです。勝田までまた頑張りたいと思います。
さいたま国際マラソンを走り終えて
2年ぶりの更新。もはやどんなスタンスで書いてたかも忘れました。サッカーのワールドユースが2年おきの開催なので、そこを目指しますか・・・(笑)
今回、第2回さいたま国際マラソンでサブスリーという大きな目標を達成できたので、思うところを書き記したいと思い、更新するに至りました。かなり長文です。
■サブスリーを狙うようになったきっかけ
そもそも自分がサブスリーを初めて意識したのが4年前、2012年のつくばマラソンでした。この頃はランに対するモチベーションが非常に高く、9月には400km走り込むなど、今では考えられないほどのトレーニング量をこなしていました。
2012年9月のトレーニング記録
10月には奥武蔵グリーンラインチャレンジで女性の1位を上回る好記録、諏訪湖マラソンでも1時間25分と、大会でも結果が出ていました。
つくばの前週の上尾シティマラソンでも余裕を持って1時間29分が出たので、サブスリーを十分狙えるという感覚がありました。
しかしながら満を持して臨んだつくばでは、ハーフ手前で膝に違和感が出ました。前半ハーフは1時間32分で走るも、膝の痛み(原因は腸脛靭帯炎でした)が出た後半は大失速で3時間22分に終わりました。これが最初のサブスリーチャレンジでした。
■モチベーションが上がらなかった4年間と2016年の転機
そこから悔しさをバネに這い上がれればよかったのですが、ランのモチベーションが上がりません。トレランやウルトラマラソンなど新たな世界にも足を踏み入れましたが、2012年のつくば前のような、とにかく走りたいという状態には戻れませんでした。
2015年春には、ちょっとした発奮材料が有り、その年のうちにサブスリーを達成すると、SNSで宣言をしました。しかしそれも気持ちが長続きせず、11月の第1回さいたま国際マラソンは当時の自己ベストは更新するも、3時間17分という有様でした。本当に格好悪かったです。
自分は体型的には恵まれたランナー体型のため、他人よりも少ない練習量でもそれなりのタイムが出ます。2016年は年明けに練習も含めた走り初めのハイテクハーフマラソンで1時間29分、そこから2週間全く走らず臨んだ勝田全国マラソンで3時間13分が出ました。練習をそこまでしなくてタイムが出るというのは良い面もあれば、「ここまでタイムが出たし」と自分を勝手に納得させる悪い面もあります。マラソンの経験値が上がったことにより、練習が少なくても結果が出たのだと思いますが、正直複雑な思いもありました。
しかしいくら自分は相対的に見れば良いタイムを持っていると言い聞かせたところで、「心から納得する走り」をして、「心から納得する結果」を出したいという気持ちはどこかにありました。
今年春のトレランが終わり(それも惨敗)、大会が一段落したところで、一つ決心をしました。
「今年のさいたま国際マラソンでサブスリーを達成する」
なぜこんな決心をしたかというと、まず自分自身ウルトラやトレイルよりもロードのフルマラソンで勝負したいという気持ちがあり、せっかくなら地元を走る大会で達成したいというのがひとつでした。
そしてもうひとつはちょっと恥ずかしいですが、付き合っていた女性がちょうどコースの近くに住んでおり、端的に言えばここで良い姿を見せたいという思いがあったからです。彼女に対して、自分はこれまでの人生で「達成困難な目標にチャレンジする」という経験が絶対に不足しているという欠点を正直に伝えていたのですが、そこを克服したいという気持ちも背景にありました。
残念ながらその女性とは大会前に別れてしまったのですが、2015年春の一時的な気持ちから出た「ちょっとした発奮材料」とは違い、今回は人間的に成長したいとか、自分を変えたいという気持ちが根底にあったため、もっと心の底から目標達成を考えることができました。
■サブスリーへのロードマップ
2015年にサブスリー宣言した時は、とにかく気持ちを奮い立たせて走りまくろう、鍛えまくろう、という気持ちでなんとかするというものでした。しかしその時の強い感情が薄まるとすぐに頓挫しました。そこで今回は、とにかく考えることからはじめました。
まずは自己分析です。
精神的な強さがない自分に、月間走行距離をひたすら追い求める練習は不向きというのはすぐに思いつきました。
能力的な面では、スピードが明らかに不足しているため、スピードを磨く必要があると考えました。これまでは心拍を上げる練習はとにかく嫌いだったのですが、昨今マラソンで活躍する選手はトラック種目で実績を上げていることが多く、スピードを鍛えることがフルマラソンのタイムを上げる近道だということは否が応でも認識せざるを得ませんでした。
ではこの分析を具体的なトレーニングにどう反映させていくか。
そこで考えついたのが、「登山」と「インターバルトレーニング」です。
■テントを背負っての山行は最高のトレーニング
登山は3年ほど前にマラソン仲間に教えてもらって始めたのですが、すっかりはまってしまいました。体力はあるのでどんなコースでも大丈夫だと思っていたのですが、実は昨年一度登山で体力が尽き果てる苦い経験をしました。
それは鳳凰三山にテントを背負って挑んだときのことです。その前年にテントを購入しており、テント泊の練習も兼ねて鳳凰三山に向かいました。初日は御座石鉱泉から入り鳳凰小屋で幕営、翌日は早川尾根を経て北沢峠へ向かい北沢峠で幕営、その翌日に仙丈ヶ岳ピストンという計画を立ててました。初日は工程が短かったこともありこなせたものの、二日目は足取りが重く、結局予定を短縮して広河原に下りてしまいました。今思うと鳳凰小屋から早川尾根を一気に縦走で北沢峠というのは無謀でした。テントを含めて10~12kgのザックを背負っての山行は練習不足の足腰には耐えられなかったのです。
トレランをやっていたこともあり、いくらテントを背負っていようとも、山をものすごいスピードで駆け抜けるトレイルランナーこそが山で最も体力がある人種だと思っていたのですが、これを機に実は重装備で山を歩く人も相当すごいのだと認識するようになりました。
そこで今年は登山で足腰を鍛えようと考え、できるだけ多く、しかもできるだけテントを背負って山に行こうと計画しました。結果的に一泊二日のテント泊3回、日帰り登山2回、トレラン1回をこなせました。
特に9月の木曽駒ヶ岳への山行はハードでした。初日は17kmで標高差2000m以上上げました。しかし苦労した甲斐があり二日目の朝はそれはもう言葉にならない絶景を堪能。
これがあるから山はやめられません。そして下山後はものすごい筋肉痛に襲われました。12kgの荷物を背負って2日間で16時間も歩き続ければ当然です。そんな酷い筋肉痛になるほどのことをしていながら、思い出すのは素晴らしい景色のことだけでした。
なぜマラソンのトレーニングに登山なのかの理由が遅くなりましたが、つまり登山はかなりの負荷を長時間かけるきついトレーニングでありながら、とにかく楽しいんです。単に走るだけの努力は自分には難しくても、山であれば楽しみながら足腰を鍛えられるのです。専門的なことはわかりませんが、登山で使う筋肉とランで使う筋肉はかなりリンクしているはずです。
■苦しいけど続けられたインターバルトレーニング
登山の他には自転車もよくやりましたが、心拍数はそこまで上がりません。夏場になるまで色々考えましたが、結局スピードを鍛えるにはインターバルトレーニングしかないとの結論に至りました。FB友達のうえきさんが5,000m走をちょくちょくこなしており、自分もスピードを鍛えなければと思えたのも今思うと幸運でした。
インターバルのやり方も色々あるようですが、自分が取り入れたのは田中猛雄さんの本で紹介されていた、1kmダッシュ+つなぎジョグを1サイクル6分か慣れれば5分半、それを7サイクルというもの(自分はほぼ6分/サイクル*8サイクルでした)。
マラソンはゆっくり走れば3時間を切れる! 49歳のおじさん、2度目のマラソンで2時間58分38秒 (ソフトバンク新書)
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8月終わりの赤羽月例にはFB友達のうえきさんと参加したのですが、5,000を19分前半で走れて、早くも成果を実感しました。ちなみに田中さんは著書で早くなるためにはポイント練習と、その2倍のLSDをすれば良いと書いていて、自身がこの方法で300km/月走らずともサブスリーを達成したそうです。
■自信と不安
これまでの自分はトレーニングで追い込めないため、ハーフマラソンなどのレースを活用するというやり方でした。しかし今年は諏訪湖マラソンにエントリー漏れしたこともあり、さいたま国際までに入れたレースは越後湯沢のハーフと彩湖の小規模30kmレースだけでした。特に諏訪湖のエントリー漏れは痛かったです。高速コースでハーフのベストでも出せれば大きな自信になったはずでした。
迎えた9月終わりの越後湯沢はシーズンを占う大事なレースでしたが、その前週に北海道で自転車ツーリング、羅臼岳トレラン、雌阿寒岳登山をこなしており、疲労が残った状態で臨むことになりました。走る前はいくらコンディションが悪く、タイムが出にくいコースでも、90分は切れるのではないかと考えていました。ところが蓋を開けてみると足が重く腹筋も痛くなり、1時間37分と大撃沈。本当にサブスリーを目指せるのか不安になりました。
それでも着実に力をつけていると信じ、10月中旬の彩の国マラソンでは4分15秒/kmペースを狙い、何とか達成。
トレーニングの量は少ないものの、インターバルでスピードはつけており、また4月のトレランで惨敗した後、山の師匠でもあるM田さんに進められて始めた腹筋ローラーも習慣になり、腹筋も鍛えました。さらにはコースの試走を何度も重ね、目を瞑ればスタートからゴールまでがイメージできるほどになりました。純粋なランニングの走行距離は8月118km、9月84km、10月248km、11月35kmと、これでサブスリーを狙うとか舐めとんのかと言われそうな感じですが、自分の中では達成できるイメージを持っていました。月間走行距離には表れない登山や自転車や腹筋が絶対にプラスになっていると信じていました。
■いざスタートラインへ
10月終わりの週末にバカ友達とおバカ旅行をして酒を飲んで美味しいものを食べましたが、この時ですらきっちり工程に登山を入れました。蓼科山のゆる登山でしたが。それが終わった後は糖質とアルコールは一切カットしました。レース二日前に体重が54.9kgとなり、水分を除いても1kgくらいの減量に成功しました。おそらく体脂肪は5%くらいになったと思います。
今回も古典的カーボローディングを実践し、金曜から糖質を摂り出しましたが、以前のように暴食はしないよう、食べ過ぎには注意しました。当日はスタートするまでにバナナ2本、ロールパン5個、柿の種50g、エネルギージェル1個を摂取。また、給食が27kmまでないため、今回はPowerBarのエネルギージェルを2個、アミノバイタルプロの粉末スティックを3本パンツのポケットに入れておきました。勿論どこで何を口に入れるかも全てシミュレーションしました。
トイレは会場は混雑することを見越し、家を出る時間を遅くして家で済ますようにしました。会場では前の会社の同僚と顔を合わせ、最後の食事を済ませてすぐにスタートラインへ。Aブロック端の良い位置を確保。スタートラインの招集からスタートまで時間がありましたが、去年と違って寒さがなく、ストレッチをしながら落ち着いて過ごせました。
■想定通りの前半ハーフ
スタートのロスは13秒。こんな前でも6分以下のペースでスタートする人がいて呆れました。4時間制限だった昨年は本当にスムーズで良かったのですが・・・ベストタイムの提出は義務化すべきでしょうね。
出だしはやはりペースを掴むのに苦労しましたが、八幡通りはまさに見慣れた光景で、精神的には本当に落ち着いていました。旧中山道に出てからは平坦になるため、4分15秒に抑えようとしますが、体が軽いため少し速くなります。迷いましたがデジタルの時計が示すタイムよりも、自分の体の感覚を信じてそのまま予定より少し早いペースで走り続けます。ちなみに3時間のペースランナーにはあっさり抜かれました。ペースランナーだからてっきり4分15秒を刻むのかと思っていましたがそうではないんですね。勿論自分はペースランナーは無視でした。
駒場から浦和美園にかけては細かなアップダウンが続きますが、全て頭に入っているため苦にならず、登りで落ちても下りで上げてほぼイーブンペースを保てました。さすがにサブスリーを狙うランナーはフォームもしっかりしていてリズムが合う方が多く、何度か後ろについたり集団走をしたりしました。集団走は自転車レースさながらで、真ん中にいると空気抵抗がなくて楽でした。そして共通の目標であるサブスリーに挑む仲間という感じがして、心強く感じたりもしました。ただし集団はペースが一定しないことも多く、結局それほど長く集団につくことはせず、自分の感覚、ペースを守ることに専念しました。このあたりは集団走の練習を普段からしていないから慣れていないというのもあるのかもしれません。
前半ハーフの時計はグロスで1:28:57。前半は90分、後半ネガティブスプリットでどこまで上げられるか勝負と思っていたので、1分の貯金がありながら余力が残っているというのは嬉しい誤算でした。ちなみにレース前々日にはこのようなつぶやきをしていました。
ここまで戦略が明確で、コースも明確にイメージできてるレースは初めてかも。だから逆にタイムにとらわれ過ぎないようには注意したい。あくまでも体と対話しながら走らないとね。4分15秒ペースで余裕を持てればベスト。駒場からスパートかけて2時間58分、これが最高のシナリオ。
■苦しさを感じなかった後半ハーフ
前半ハーフが終わった時点で、ほぼサブスリーを確信していました。勝田全国マラソンでは二年連続のネガティブスプリットで二年連続の自己ベスト更新をしているのですが、その時の感覚に近かったです。駄目なときとは大抵ハーフで余力がなくなりますが、今回は違いました。越谷の神明町の折り返しを過ぎてからの区間は30km走の練習のときにも気持ちよく走れていた区間でした。若干の追い風と気持ちの余裕もあり、4分10秒を切るペースで楽に走れました。30kmでは事前に4分15秒ペースの場合の通過タイムとして腕にメモしておいた、2:07:30よりも1分15秒の余裕ができました。新見沼大橋からはコースの中でも最も勝手知ったる道。精神的にもだいぶ楽になりました。ここからはできるだけ地元の応援してくれている人たちにも感謝を伝えようと思い、声をかけてくれた人に手を振り返して頭を下げながら走りました。
残り5kmでようやくタイムを計算し始めました。2時間57分で行けそうだ。でも足も呼吸も余裕があったため、北浦和駅から更にスピードが上がります。北浦和から与野までは練習でも長いなあと思っていましたが、ボランティアの高校生や沿道の方々に応えながら走っていたらあっという間でした。事前シミュレーションでは、この区間はインターバルの辛さを思い出しながら必死で走り抜けることになっていたのですが、こんなに余裕を持って走れるとは。
サブスリーを達成したときの感情まではシミュレーションしてなかったのですが、ゴールゲートをくぐる瞬間に喜びが爆発しました。こんな気持でゴールしたのは本当に久しぶりです。公式の速報タイムはグロスで02:56:52。自分でもびっくりでした。
■サブスリーにチャレンジしてよかった
4年前、つくばで挫折を味わってからこの日まで長かったです。自分ならできるという思いと、あそこまでの練習はそうそうできないという思いと両方を抱えていました。今回はとにかく頑張るという精神論ではなく、どうやったら単純なランの練習量をこなせない中でサブスリーの体を作り上げるかを必死に考えたことが成果につながりました。ネットを検索すればサブスリーを達成するには300km/月の練習が・・・と出てきます。それだけを信じていたらおそらく何処かでまた折れていたかもしれません。個人的には練習量をこなすというのも一つの才能だと思います。自分もこれまではいかにそこを克服するかを考えていましたが、今回は実行性と実効性をよく考えました。300km走るというのは自分にとっては実行性に疑問符がつきました。ならばと楽しい登山、楽しい自転車ツーリングに目を向けました。どちらも実行性に障害はなく、実効性にも優れていました。そして4年前は単純なジョグばかり繰り返していましたが、今回は質にこだわり、実効性を高めるためにインターバルを取り入れました。そんなの努力じゃないと言われそうですが、今回のレースでのサブスリーという目標達成のためによく考えてプランを遂行し、結果を出した自分を今は褒めたいと思います。
自分の人生において、一見困難に見える目標にチャレンジしてそれを乗り越えるという経験はそれほど多くはありません。今回は本当に良い経験ができました。趣味で始めたマラソンですが、人間的な成長につながっていると実感します。
今回の大会開催に尽力された主催者の方々、ボランティアの方々、沿道で応援してくれた地域の皆様、一緒に走ってくれたランナーの仲間たちに感謝の気持ちを記して、久々の更新記事の結びとしたいと思います。
第9回隠岐の島ウルトラマラソン<後編>
レストステーションを出たところで、「日本1-0コートジボワール」のボードを見つける。オイラも含めランナー一同盛り上がるw
50kmは50kmの部のスタート時間である11時半前に通過。これで川内優輝君に追い抜いてもらえる。
51kmを過ぎたところで50kmの部スタートの号砲を聞く。走路がコの字になっていたため、スタートがよく見える。集団がすごい勢いで走りだし、まるで自転車レースでメイン集団が迫ってくるような感じだった。
53km過ぎで川内君がものすごい勢いで駆けていく。「ファイト」の声に軽く頷いてくれた。
その後勢いが全く違う50kmの選手に次々と追い抜かれる。こっちは50kmの選手がスタートする前にすでに50km走っているんだ、というのは分かっていても、なんとも嫌だった。
100kmの選手のゼッケンを確認しては、一緒に頑張ろうぜと、心の中で声をかける。
因みにこの頃にラジオを聞いていた人から日本逆転負けの報を聞いた。伝える方もがっかり、聞く方もがっかりな、残念なひとときだったw
相変わらず50kmのランナーにがんがんかわされる中、自然とペースが合ったのが、またもや美ジョガーのグラさん(グラサンをしてたのでw)。本レース二度目のランデヴー(*´Д`)
グラさんはラン歴が短く100kmレースは初挑戦とのことだが、昨年この大会で50kmを走っており、3週間前にも70kmのアップダウンが激しいレースを11時間で走っている。やはりおいらとは準備が違う。
おいらがここからの三連続の峠越えが嫌ですよね〜なんて話を振ったら、登りになれば歩けるから、早く登りになってほしいという答えwすごい。
携帯していたコース図を見ながら、59kmから登りなんで、あとちょっとですねなんて話していると、突如ものすごい向かい風が。
台風並みの風に抗いながら走るも、グラさんは少し歩きますと言った。
男ならここで、じゃあ私も歩きます(`・ω・´)そして私が風よけになります、と言うべきだったんだろうが、なにせゴールが不安だったもので、先を行くことに。
この選択が人生において正しかったのかは甚だ疑問だ・・・w
レストステーションを過ぎてから意外と脚が回復しずっと走れていたのだが、さすがにおいらもこの風には勝てずに少し歩いた。
50kmの選手は速すぎて風よけに使えないぞと思っていたら、赤い登山用の帽子を被った方、登山帽さんがちょうど良いスピードで前を走ってる。
後ろについて、すみません、風よけにさせてもらいますとしっかり宣言wしかし後ろにいるだけではと罪悪感にさいなまれ、今度は私が風よけになりますと、果敢に前へ出た。
が……ξ/ 彡(-ω-;)彡ξ/風強っ!すみません、私には無理でしたと早々に白旗w
60kmからの3連続の峠越えは本当にきつかった。
それでも登りは全て歩くものの、下りと平坦区間はきっちり走れた。
80kmが本当に遠かったけど、やはりボランティアや沿道の住民の方の熱心な応援のお陰でなんとかこの辛い区間をクリア。
80kmを過ぎると、いくら厳しく見積もっても完走は間違いないと確信。しかしここまで来ると平坦区間でも脚が思うように出ずに、走ったり歩いたりの繰り返し。
あとは強い気持ちだと、周りの100kmのランナーにも声をかけつつ、自分を鼓舞した。
最後の難関、空港の坂はかなり苦しかったけど、自分と同じく100km初挑戦の江戸川さんとお喋りしながら頑張った。
江戸川さんは江戸川近くに住んでいるそうで、自分と同じように柴又100Kみたいな川沿いを走る景観の無いレースは嫌だと思い、隠岐の島を初めての100kmの舞台に選んだのだとか。
最後の峠のピークにあった施設エイドでコーヒーと甘味をもらい、あとはゴールに向かうのみ。
西郷大橋から望むきれいな夕日の写真を撮って、さあもう少し・・・
その時後ろから不意に「お疲れ様で〜す」の声。
振り返ると何と序盤で並走した若造君だった。約80km、11時間ぶりくらいの再開。
もう完全にちぎったものだと思っていたら、追いかけていたとは。
「ここで抜くか〜」の叫びも虚しく、若造君は軽やかに駆けていった。残り2kmで抜かれたのに、ゴールタイムは5分くらい差がついたw
どんだけ最後ダッシュしてんだよw
ゴールが近づくと不思議と元気が出てきて、最後は結構走れた。
沿道からの沢山の「お帰りなさい」「100kmもう少し、頑張れ」の声に、自然と笑みがこぼれた。
ゴール手前の坂は走りきれなかったけど、大勢の方の声援、そしてMCの方の温かい祝福の声の中、感動のゴール!
タイムは13時間38分。
ウルトラマラソンってこんなに楽しいものだったんだ。なんでもっと早く教えてくれないのよ〜、というのが走り終えての率直な気持ち。
最高の景色、最高の運営、最高の住民の方の応援、そして志を同じくする最高の仲間のお陰で、最高に楽しいレースになった。
また来年、今度は少し強くなって戻ってきたい。
このレースに関わった全ての方に感謝!
計測ポイント スプリット ラップ
Start 00:00:13
20km 02:25:10 2:24:57
40km 04:52:11 2:27:01
60km 07:36:30 2:44:19(レストステーション10分)
80km 10:29:52 2:53:22(トイレ10分)
Finish 13:38:45 3:08:53
第9回隠岐の島ウルトラマラソン<前編>
さて迎えた勝負の時、レストステーション行きの荷物にはジェルを2つにビスケット、日焼け止め、着替え、アウターを入れて預けた。
今回はエイドが2.5kmに一ヶ所と充実しているため、迷ったが手ぶらで走ることに。
ウェアは上から白のキャップにツール・ド・フランスの山岳賞半袖ジャージ、下はCWXの上に安物のハーパン。靴は一番相性のいいミズノのウェーブエアロにソルボのインソール。
ポケットにはスマホとビニールに入れたコースマップ(これが超役に立った)、塩飴。
噂に聞くテンションが高いMCさんに煽られながら、もうすっかり明るい5時に100kmの部スタート。
とりあえず7分か7分半で行く作戦で、入りの2kmを予定通り7分半で入ると、なんとほぼ最後尾。みんな速い。
ウルトラマラソンで楽しそうだと思っていたのが他のランナーとの交流。フルでもトレランでもそんなことは無理だ。
レースとともに、そんな交流についても触れてみたい。
まずスタート後しばらくして最初に話しかけたのは、何故かけん玉を持って走る、けん玉さん。なぜけん玉を持っているのかと尋ねたら、坂が辛い時にけん玉をしていると気が紛れるし、良い練習にもなるからだそうだw
けん玉さんはけん玉をしながら早々においらの先に行ってしまったw
次に話しかけたのは顔マラソンさん。GPSの一筆書きの軌跡で地図上に顔を描くという変態グループw埼玉ではよく見かけていたが、なんと島根にもあるらしい。今回も3人出ているとか。
そうこうしているうちに約100m上げる最初の登り。もちろん歩いた。峠を超えて走りだすと、アンパンマンの格好をした人・・・いや、あれは紛れも無くアンパンマン!、がトイレに並んでいるところを写真に収めたと嬉しそうに話す若造君と出会う。そんな写真を撮るなどとんでもない、この若造が!とは言わなかったが、こういう無謀なことをするので名前は若造君とした。
若造君は29歳で、30歳になる前にウルトラマラソン完走を成し遂げたくて参加したのだとか。ラン歴は短いが、すでに富士五湖で72km走っており、侮れない。
走りながら景色に感動し、写真を撮りまくるあたりが似ているため、数キロ一緒に走った。
若造君と離れた後に話しかけてきたのは、なにわ夫婦。大阪から来ている還暦過ぎの夫婦で、ウルトラマラソンは百戦錬磨。兄ちゃん、手ぶらは駄目やで〜と、ボトルもワセリンも必需品だと関西人特有のありがたいおせっかいをいただくwすみません、素人なもんで(´∀`;)
20kmも過ぎると、だんだんランナーもまばらになり、周りを走るランナーの顔ぶれも覚えてくる。そんな中、坂を淡々と一定のペースで登る美ジョガーのタンタンさんと出会う。
おいらは軽量ランナーらしからぬ登りに弱く、下りに強い脚質。タンタンさんは一定ペースなので、登りで抜かれ、下りで抜かすということが2回ほど続いた。平坦区間でちょうど同じペースになったので、数キロ並走。
タンタンさんも関西人で、京丹後などで100km経験があるらしい。今回全然練習してなくて、直前一ヶ月で150kmしか・・・という発言に半分閉口。すみません、57kmですw
初めてだし、練習不足なんでビビってますと言うと、こうやって走り続けていれば大丈夫と、なんとも優しい言葉(´;ω;`)
その後もエイドと登りで離され、平坦で追い抜き、また登りで抜き返されるという展開。250m上げる最大の峠を超えた後の下りで再びパスし、「また登りで抜き返されます」と声をかけた。だが再び抜かれることはなく、ここに淡いランデヴーは終わりを告げる・・・
最大の峠を過ぎた後もアップダウンが続き、42.195kmの看板を通過した時には、普通にフルマラソンを走った時のような疲労感が・・・
それでも頑張れたのは沿道の方やエイドの方の温かい応援があったからだ。
地域の方には、ナンバーとカタカナの名前入りの出場選手一覧が配られていた。みんな「○○さん、がんばれー」と名前で応援してもらっていたが、おいらにはそれがなかった。
なぜならそのリストからおいらともう1名が漏れていたから( ;∀;)
おいらが通る度にみんなリストを見て「あれ?ない」となるのは切なかった。もうこっちから10**のIKERですって言おうかと思ったw
44km付近には何と焼き肉のエイドまであったwすぐそこの牧場の牛さんの肉なんだとか。ビールもあったけど、それを飲むとそこで試合終了なんで、なんとか我慢w
11時前にようやくエイドステーションに到着。着替えはせずにジェルを2つ取り出すだけにした。氷で首筋を冷やしながらおにぎりとそうめんを食べ、日焼け止めを塗り直すなど、約10分の休憩。
前半48kmのタイムは6時間と上々。しかし脚が最後まで持つのか・・・一抹の不安を抱えながら後半へ。