iker's blog

気ままに更新

さいたま国際マラソンを走り終えて

2年ぶりの更新。もはやどんなスタンスで書いてたかも忘れました。サッカーのワールドユースが2年おきの開催なので、そこを目指しますか・・・(笑)
今回、第2回さいたま国際マラソンサブスリーという大きな目標を達成できたので、思うところを書き記したいと思い、更新するに至りました。かなり長文です。


サブスリーを狙うようになったきっかけ

そもそも自分がサブスリーを初めて意識したのが4年前、2012年のつくばマラソンでした。この頃はランに対するモチベーションが非常に高く、9月には400km走り込むなど、今では考えられないほどのトレーニング量をこなしていました。

2012年9月のトレーニング記録

10月には奥武蔵グリーンラインチャレンジで女性の1位を上回る好記録、諏訪湖マラソンでも1時間25分と、大会でも結果が出ていました。
つくばの前週の上尾シティマラソンでも余裕を持って1時間29分が出たので、サブスリーを十分狙えるという感覚がありました。
しかしながら満を持して臨んだつくばでは、ハーフ手前で膝に違和感が出ました。前半ハーフは1時間32分で走るも、膝の痛み(原因は腸脛靭帯炎でした)が出た後半は大失速で3時間22分に終わりました。これが最初のサブスリーチャレンジでした。


■モチベーションが上がらなかった4年間と2016年の転機

そこから悔しさをバネに這い上がれればよかったのですが、ランのモチベーションが上がりません。トレランやウルトラマラソンなど新たな世界にも足を踏み入れましたが、2012年のつくば前のような、とにかく走りたいという状態には戻れませんでした。
2015年春には、ちょっとした発奮材料が有り、その年のうちにサブスリーを達成すると、SNSで宣言をしました。しかしそれも気持ちが長続きせず、11月の第1回さいたま国際マラソンは当時の自己ベストは更新するも、3時間17分という有様でした。本当に格好悪かったです。
自分は体型的には恵まれたランナー体型のため、他人よりも少ない練習量でもそれなりのタイムが出ます。2016年は年明けに練習も含めた走り初めのハイテクハーフマラソンで1時間29分、そこから2週間全く走らず臨んだ勝田全国マラソンで3時間13分が出ました。練習をそこまでしなくてタイムが出るというのは良い面もあれば、「ここまでタイムが出たし」と自分を勝手に納得させる悪い面もあります。マラソンの経験値が上がったことにより、練習が少なくても結果が出たのだと思いますが、正直複雑な思いもありました。
しかしいくら自分は相対的に見れば良いタイムを持っていると言い聞かせたところで、「心から納得する走り」をして、「心から納得する結果」を出したいという気持ちはどこかにありました。
今年春のトレランが終わり(それも惨敗)、大会が一段落したところで、一つ決心をしました。
「今年のさいたま国際マラソンサブスリーを達成する」
なぜこんな決心をしたかというと、まず自分自身ウルトラやトレイルよりもロードのフルマラソンで勝負したいという気持ちがあり、せっかくなら地元を走る大会で達成したいというのがひとつでした。
そしてもうひとつはちょっと恥ずかしいですが、付き合っていた女性がちょうどコースの近くに住んでおり、端的に言えばここで良い姿を見せたいという思いがあったからです。彼女に対して、自分はこれまでの人生で「達成困難な目標にチャレンジする」という経験が絶対に不足しているという欠点を正直に伝えていたのですが、そこを克服したいという気持ちも背景にありました。
残念ながらその女性とは大会前に別れてしまったのですが、2015年春の一時的な気持ちから出た「ちょっとした発奮材料」とは違い、今回は人間的に成長したいとか、自分を変えたいという気持ちが根底にあったため、もっと心の底から目標達成を考えることができました。


サブスリーへのロードマップ

2015年にサブスリー宣言した時は、とにかく気持ちを奮い立たせて走りまくろう、鍛えまくろう、という気持ちでなんとかするというものでした。しかしその時の強い感情が薄まるとすぐに頓挫しました。そこで今回は、とにかく考えることからはじめました。
まずは自己分析です。
精神的な強さがない自分に、月間走行距離をひたすら追い求める練習は不向きというのはすぐに思いつきました。
能力的な面では、スピードが明らかに不足しているため、スピードを磨く必要があると考えました。これまでは心拍を上げる練習はとにかく嫌いだったのですが、昨今マラソンで活躍する選手はトラック種目で実績を上げていることが多く、スピードを鍛えることがフルマラソンのタイムを上げる近道だということは否が応でも認識せざるを得ませんでした。
ではこの分析を具体的なトレーニングにどう反映させていくか。
そこで考えついたのが、「登山」と「インターバルトレーニング」です。


■テントを背負っての山行は最高のトレーニング

登山は3年ほど前にマラソン仲間に教えてもらって始めたのですが、すっかりはまってしまいました。体力はあるのでどんなコースでも大丈夫だと思っていたのですが、実は昨年一度登山で体力が尽き果てる苦い経験をしました。
それは鳳凰三山にテントを背負って挑んだときのことです。その前年にテントを購入しており、テント泊の練習も兼ねて鳳凰三山に向かいました。初日は御座石鉱泉から入り鳳凰小屋で幕営、翌日は早川尾根を経て北沢峠へ向かい北沢峠で幕営、その翌日に仙丈ヶ岳ピストンという計画を立ててました。初日は工程が短かったこともありこなせたものの、二日目は足取りが重く、結局予定を短縮して広河原に下りてしまいました。今思うと鳳凰小屋から早川尾根を一気に縦走で北沢峠というのは無謀でした。テントを含めて10~12kgのザックを背負っての山行は練習不足の足腰には耐えられなかったのです。
トレランをやっていたこともあり、いくらテントを背負っていようとも、山をものすごいスピードで駆け抜けるトレイルランナーこそが山で最も体力がある人種だと思っていたのですが、これを機に実は重装備で山を歩く人も相当すごいのだと認識するようになりました。
そこで今年は登山で足腰を鍛えようと考え、できるだけ多く、しかもできるだけテントを背負って山に行こうと計画しました。結果的に一泊二日のテント泊3回、日帰り登山2回、トレラン1回をこなせました。
特に9月の木曽駒ヶ岳への山行はハードでした。初日は17kmで標高差2000m以上上げました。しかし苦労した甲斐があり二日目の朝はそれはもう言葉にならない絶景を堪能。

これがあるから山はやめられません。そして下山後はものすごい筋肉痛に襲われました。12kgの荷物を背負って2日間で16時間も歩き続ければ当然です。そんな酷い筋肉痛になるほどのことをしていながら、思い出すのは素晴らしい景色のことだけでした。
なぜマラソンのトレーニングに登山なのかの理由が遅くなりましたが、つまり登山はかなりの負荷を長時間かけるきついトレーニングでありながら、とにかく楽しいんです。単に走るだけの努力は自分には難しくても、山であれば楽しみながら足腰を鍛えられるのです。専門的なことはわかりませんが、登山で使う筋肉とランで使う筋肉はかなりリンクしているはずです。


■苦しいけど続けられたインターバルトレーニング

登山の他には自転車もよくやりましたが、心拍数はそこまで上がりません。夏場になるまで色々考えましたが、結局スピードを鍛えるにはインターバルトレーニングしかないとの結論に至りました。FB友達のうえきさんが5,000m走をちょくちょくこなしており、自分もスピードを鍛えなければと思えたのも今思うと幸運でした。
インターバルのやり方も色々あるようですが、自分が取り入れたのは田中猛雄さんの本で紹介されていた、1kmダッシュ+つなぎジョグを1サイクル6分か慣れれば5分半、それを7サイクルというもの(自分はほぼ6分/サイクル*8サイクルでした)。

マラソンはゆっくり走れば3時間を切れる!  49歳のおじさん、2度目のマラソンで2時間58分38秒 (ソフトバンク新書)

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EPSONGPSウォッチSF-810にはインターバルトレーニングモードがあり、これを利用しました。インターバルは正直きついんですが、なんとか週一回こなせました。こなせた理由は2つ。1つは単純にトレーニング時間が短く済むため。20kmのLSDだと7分km*20kmで140分かかりますが、インターバルなら8サイクル*6分で48分です。そしてもう一つは泣き言言っても腕時計は無慈悲にメニューを指示してくるからです。腕時計をセットしちゃえばあとは走るしかないのです。
8月終わりの赤羽月例にはFB友達のうえきさんと参加したのですが、5,000を19分前半で走れて、早くも成果を実感しました。ちなみに田中さんは著書で早くなるためにはポイント練習と、その2倍のLSDをすれば良いと書いていて、自身がこの方法で300km/月走らずともサブスリーを達成したそうです。


■自信と不安

これまでの自分はトレーニングで追い込めないため、ハーフマラソンなどのレースを活用するというやり方でした。しかし今年は諏訪湖マラソンにエントリー漏れしたこともあり、さいたま国際までに入れたレースは越後湯沢のハーフと彩湖の小規模30kmレースだけでした。特に諏訪湖のエントリー漏れは痛かったです。高速コースでハーフのベストでも出せれば大きな自信になったはずでした。
迎えた9月終わりの越後湯沢はシーズンを占う大事なレースでしたが、その前週に北海道で自転車ツーリング、羅臼岳トレラン、雌阿寒岳登山をこなしており、疲労が残った状態で臨むことになりました。走る前はいくらコンディションが悪く、タイムが出にくいコースでも、90分は切れるのではないかと考えていました。ところが蓋を開けてみると足が重く腹筋も痛くなり、1時間37分と大撃沈。本当にサブスリーを目指せるのか不安になりました。
それでも着実に力をつけていると信じ、10月中旬の彩の国マラソンでは4分15秒/kmペースを狙い、何とか達成。

トレーニングの量は少ないものの、インターバルでスピードはつけており、また4月のトレランで惨敗した後、山の師匠でもあるM田さんに進められて始めた腹筋ローラーも習慣になり、腹筋も鍛えました。さらにはコースの試走を何度も重ね、目を瞑ればスタートからゴールまでがイメージできるほどになりました。純粋なランニングの走行距離は8月118km、9月84km、10月248km、11月35kmと、これでサブスリーを狙うとか舐めとんのかと言われそうな感じですが、自分の中では達成できるイメージを持っていました。月間走行距離には表れない登山や自転車や腹筋が絶対にプラスになっていると信じていました。


■いざスタートラインへ
10月終わりの週末にバカ友達とおバカ旅行をして酒を飲んで美味しいものを食べましたが、この時ですらきっちり工程に登山を入れました。蓼科山のゆる登山でしたが。それが終わった後は糖質とアルコールは一切カットしました。レース二日前に体重が54.9kgとなり、水分を除いても1kgくらいの減量に成功しました。おそらく体脂肪は5%くらいになったと思います。
今回も古典的カーボローディングを実践し、金曜から糖質を摂り出しましたが、以前のように暴食はしないよう、食べ過ぎには注意しました。当日はスタートするまでにバナナ2本、ロールパン5個、柿の種50g、エネルギージェル1個を摂取。また、給食が27kmまでないため、今回はPowerBarのエネルギージェルを2個、アミノバイタルプロの粉末スティックを3本パンツのポケットに入れておきました。勿論どこで何を口に入れるかも全てシミュレーションしました。
トイレは会場は混雑することを見越し、家を出る時間を遅くして家で済ますようにしました。会場では前の会社の同僚と顔を合わせ、最後の食事を済ませてすぐにスタートラインへ。Aブロック端の良い位置を確保。スタートラインの招集からスタートまで時間がありましたが、去年と違って寒さがなく、ストレッチをしながら落ち着いて過ごせました。


■想定通りの前半ハーフ
スタートのロスは13秒。こんな前でも6分以下のペースでスタートする人がいて呆れました。4時間制限だった昨年は本当にスムーズで良かったのですが・・・ベストタイムの提出は義務化すべきでしょうね。
出だしはやはりペースを掴むのに苦労しましたが、八幡通りはまさに見慣れた光景で、精神的には本当に落ち着いていました。旧中山道に出てからは平坦になるため、4分15秒に抑えようとしますが、体が軽いため少し速くなります。迷いましたがデジタルの時計が示すタイムよりも、自分の体の感覚を信じてそのまま予定より少し早いペースで走り続けます。ちなみに3時間のペースランナーにはあっさり抜かれました。ペースランナーだからてっきり4分15秒を刻むのかと思っていましたがそうではないんですね。勿論自分はペースランナーは無視でした。
駒場から浦和美園にかけては細かなアップダウンが続きますが、全て頭に入っているため苦にならず、登りで落ちても下りで上げてほぼイーブンペースを保てました。さすがにサブスリーを狙うランナーはフォームもしっかりしていてリズムが合う方が多く、何度か後ろについたり集団走をしたりしました。集団走は自転車レースさながらで、真ん中にいると空気抵抗がなくて楽でした。そして共通の目標であるサブスリーに挑む仲間という感じがして、心強く感じたりもしました。ただし集団はペースが一定しないことも多く、結局それほど長く集団につくことはせず、自分の感覚、ペースを守ることに専念しました。このあたりは集団走の練習を普段からしていないから慣れていないというのもあるのかもしれません。
前半ハーフの時計はグロスで1:28:57。前半は90分、後半ネガティブスプリットでどこまで上げられるか勝負と思っていたので、1分の貯金がありながら余力が残っているというのは嬉しい誤算でした。ちなみにレース前々日にはこのようなつぶやきをしていました。


■苦しさを感じなかった後半ハーフ
前半ハーフが終わった時点で、ほぼサブスリーを確信していました。勝田全国マラソンでは二年連続のネガティブスプリットで二年連続の自己ベスト更新をしているのですが、その時の感覚に近かったです。駄目なときとは大抵ハーフで余力がなくなりますが、今回は違いました。越谷の神明町の折り返しを過ぎてからの区間は30km走の練習のときにも気持ちよく走れていた区間でした。若干の追い風と気持ちの余裕もあり、4分10秒を切るペースで楽に走れました。30kmでは事前に4分15秒ペースの場合の通過タイムとして腕にメモしておいた、2:07:30よりも1分15秒の余裕ができました。新見沼大橋からはコースの中でも最も勝手知ったる道。精神的にもだいぶ楽になりました。ここからはできるだけ地元の応援してくれている人たちにも感謝を伝えようと思い、声をかけてくれた人に手を振り返して頭を下げながら走りました。
残り5kmでようやくタイムを計算し始めました。2時間57分で行けそうだ。でも足も呼吸も余裕があったため、北浦和駅から更にスピードが上がります。北浦和から与野までは練習でも長いなあと思っていましたが、ボランティアの高校生や沿道の方々に応えながら走っていたらあっという間でした。事前シミュレーションでは、この区間はインターバルの辛さを思い出しながら必死で走り抜けることになっていたのですが、こんなに余裕を持って走れるとは。
サブスリーを達成したときの感情まではシミュレーションしてなかったのですが、ゴールゲートをくぐる瞬間に喜びが爆発しました。こんな気持でゴールしたのは本当に久しぶりです。公式の速報タイムはグロスで02:56:52。自分でもびっくりでした。


サブスリーにチャレンジしてよかった
4年前、つくばで挫折を味わってからこの日まで長かったです。自分ならできるという思いと、あそこまでの練習はそうそうできないという思いと両方を抱えていました。今回はとにかく頑張るという精神論ではなく、どうやったら単純なランの練習量をこなせない中でサブスリーの体を作り上げるかを必死に考えたことが成果につながりました。ネットを検索すればサブスリーを達成するには300km/月の練習が・・・と出てきます。それだけを信じていたらおそらく何処かでまた折れていたかもしれません。個人的には練習量をこなすというのも一つの才能だと思います。自分もこれまではいかにそこを克服するかを考えていましたが、今回は実行性と実効性をよく考えました。300km走るというのは自分にとっては実行性に疑問符がつきました。ならばと楽しい登山、楽しい自転車ツーリングに目を向けました。どちらも実行性に障害はなく、実効性にも優れていました。そして4年前は単純なジョグばかり繰り返していましたが、今回は質にこだわり、実効性を高めるためにインターバルを取り入れました。そんなの努力じゃないと言われそうですが、今回のレースでのサブスリーという目標達成のためによく考えてプランを遂行し、結果を出した自分を今は褒めたいと思います。
自分の人生において、一見困難に見える目標にチャレンジしてそれを乗り越えるという経験はそれほど多くはありません。今回は本当に良い経験ができました。趣味で始めたマラソンですが、人間的な成長につながっていると実感します。
今回の大会開催に尽力された主催者の方々、ボランティアの方々、沿道で応援してくれた地域の皆様、一緒に走ってくれたランナーの仲間たちに感謝の気持ちを記して、久々の更新記事の結びとしたいと思います。