京都観光
ちょっと前だけど、バスケ観戦(感染との説も)で京都に行ったついでに観光してきた。
さすがに京都ともなると、テーマを絞らなければとても観光はできない。
与えられた時間も多くはなかったため、幕末の会津藩の史跡を中心に回ることにした。
まずはじめに訪れたのが、京都御所。
東京の皇居に来る前は、皇族はこの京都御所にいた。
いくつか門があるのだが、俺が目指したのはもちろん蛤御門。
幕末に長州藩と、御所を守る会津藩と薩摩藩がここで衝突した。いわゆる禁門の変(蛤御門の変とも)と呼ばれるものである。
梁に弾痕があると聞いていたが、はっきりとは確認できなかった。
続いて金戒光明寺に来たのだが、特別展が10時からとのことだったので、時間がなかったため翌日に改めて来ることに。
仕方なく三条大橋から木屋町界隈にかけてを散策。
まずは三条大橋。
池田屋事件のときについたといわれる刀の跡が残っている。
そしてその池田屋事件のあった、池田屋跡。
現在ははなの舞系列の居酒屋となっている。
そして坂本龍馬、中岡慎太郎殉難の地。
あまりにも目立たないので何度も通り過ぎてしまったが、サークルKサンクスの前にひっそりとあった。
翌日、特別展示を行っている金戒光明寺に再び足を運んだ。
非公開文化財の特別展示がはじまって2日目ということもあって、10時の開場時には20人ほどの人がいた。
一番の見所は、容保公直筆の辞世の句。
容保公が秋月悌次郎らの藩士と会っていた謁見の間には、ほかにも会津藩に関する貴重な資料が展示されていた。
中庭も見ることができ、容保公が京都守護職としての日々をここで過ごしていたかと思うと、感慨深いものがあった。
金戒光明寺がある黒谷には、会津藩殉難者墓地もある。
実際にこれだけの人が幕末の短い期間に亡くなったのかと思うと、本で読んでいただけの話が現実として突きつけられ、とても重いものを感じた。
もちろんここに葬られている人がすべてではない。そう考えると、余計に重い。
今回はあまり時間がとれなかったが、容保公が150年近くも前に過ごした場所を見ることができて良かった。
会津藩というのは、知れば知るほど立派な藩であったことがわかった。
2月初めに福島に帰るときには、会津若松に行ってみたいと思う。