iker's blog

気ままに更新

第9回隠岐の島ウルトラマラソン<前編>

さて迎えた勝負の時、レストステーション行きの荷物にはジェルを2つにビスケット、日焼け止め、着替え、アウターを入れて預けた。
今回はエイドが2.5kmに一ヶ所と充実しているため、迷ったが手ぶらで走ることに。
ウェアは上から白のキャップにツール・ド・フランスの山岳賞半袖ジャージ、下はCWXの上に安物のハーパン。靴は一番相性のいいミズノのウェーブエアロにソルボのインソール。
ポケットにはスマホとビニールに入れたコースマップ(これが超役に立った)、塩飴。


噂に聞くテンションが高いMCさんに煽られながら、もうすっかり明るい5時に100kmの部スタート。
とりあえず7分か7分半で行く作戦で、入りの2kmを予定通り7分半で入ると、なんとほぼ最後尾。みんな速い。

ウルトラマラソンで楽しそうだと思っていたのが他のランナーとの交流。フルでもトレランでもそんなことは無理だ。
レースとともに、そんな交流についても触れてみたい。


まずスタート後しばらくして最初に話しかけたのは、何故かけん玉を持って走る、けん玉さん。なぜけん玉を持っているのかと尋ねたら、坂が辛い時にけん玉をしていると気が紛れるし、良い練習にもなるからだそうだw
けん玉さんはけん玉をしながら早々においらの先に行ってしまったw


次に話しかけたのは顔マラソンさん。GPSの一筆書きの軌跡で地図上に顔を描くという変態グループw埼玉ではよく見かけていたが、なんと島根にもあるらしい。今回も3人出ているとか。


そうこうしているうちに約100m上げる最初の登り。もちろん歩いた。峠を超えて走りだすと、アンパンマンの格好をした人・・・いや、あれは紛れも無くアンパンマン!、がトイレに並んでいるところを写真に収めたと嬉しそうに話す若造君と出会う。そんな写真を撮るなどとんでもない、この若造が!とは言わなかったが、こういう無謀なことをするので名前は若造君とした。
若造君は29歳で、30歳になる前にウルトラマラソン完走を成し遂げたくて参加したのだとか。ラン歴は短いが、すでに富士五湖で72km走っており、侮れない。
走りながら景色に感動し、写真を撮りまくるあたりが似ているため、数キロ一緒に走った。









若造君と離れた後に話しかけてきたのは、なにわ夫婦。大阪から来ている還暦過ぎの夫婦で、ウルトラマラソンは百戦錬磨。兄ちゃん、手ぶらは駄目やで〜と、ボトルもワセリンも必需品だと関西人特有のありがたいおせっかいをいただくwすみません、素人なもんで(´∀`;)


20kmも過ぎると、だんだんランナーもまばらになり、周りを走るランナーの顔ぶれも覚えてくる。そんな中、坂を淡々と一定のペースで登る美ジョガーのタンタンさんと出会う。
おいらは軽量ランナーらしからぬ登りに弱く、下りに強い脚質。タンタンさんは一定ペースなので、登りで抜かれ、下りで抜かすということが2回ほど続いた。平坦区間でちょうど同じペースになったので、数キロ並走。
タンタンさんも関西人で、京丹後などで100km経験があるらしい。今回全然練習してなくて、直前一ヶ月で150kmしか・・・という発言に半分閉口。すみません、57kmですw
初めてだし、練習不足なんでビビってますと言うと、こうやって走り続けていれば大丈夫と、なんとも優しい言葉(´;ω;`)
その後もエイドと登りで離され、平坦で追い抜き、また登りで抜き返されるという展開。250m上げる最大の峠を超えた後の下りで再びパスし、「また登りで抜き返されます」と声をかけた。だが再び抜かれることはなく、ここに淡いランデヴーは終わりを告げる・・・




最大の峠を過ぎた後もアップダウンが続き、42.195kmの看板を通過した時には、普通にフルマラソンを走った時のような疲労感が・・・





それでも頑張れたのは沿道の方やエイドの方の温かい応援があったからだ。
地域の方には、ナンバーとカタカナの名前入りの出場選手一覧が配られていた。みんな「○○さん、がんばれー」と名前で応援してもらっていたが、おいらにはそれがなかった。
なぜならそのリストからおいらともう1名が漏れていたから( ;∀;)
おいらが通る度にみんなリストを見て「あれ?ない」となるのは切なかった。もうこっちから10**のIKERですって言おうかと思ったw




44km付近には何と焼き肉のエイドまであったwすぐそこの牧場の牛さんの肉なんだとか。ビールもあったけど、それを飲むとそこで試合終了なんで、なんとか我慢w



11時前にようやくエイドステーションに到着。着替えはせずにジェルを2つ取り出すだけにした。氷で首筋を冷やしながらおにぎりとそうめんを食べ、日焼け止めを塗り直すなど、約10分の休憩。
前半48kmのタイムは6時間と上々。しかし脚が最後まで持つのか・・・一抹の不安を抱えながら後半へ。

第9回隠岐の島ウルトラマラソン<プロローグ>

もう全く更新する気がなかったけど、隠岐の島ウルトラマラソンを含めた4日間があまりに楽しかったため、忘れないようにブログに残しておきたい。


そもそも隠岐の島ウルトラマラソンに出ることになったのは、ランニング仲間がやたらとウルトラマラソンを走っており、そこに触発されたのが大きい。以前は毎年腸脛靭帯炎に悩まされていたためびびって踏み出せなかったのだが、フラット着地を意識した昨夏以降発症しなかったことと、44kmと43kmのトレランを最後まで力を残して完走できたことでいよいよ自信を得た。
ではなぜ隠岐の島かと言うと、それは景色が良さそうだからwどうせ辛いことをするなら景色が良い方が元気が出る。
もともと初挑戦の舞台としては小豆島・寒霞渓の100kmを考えていたのだが、残念ながら2014年の開催はなし。小豆島みたいに景色が良いところ…と思っていたところ見つけたのが隠岐の島。
島根と鳥取には行ったこともないしと即決。


ひとつマイナス要因として想定していなかったことは、今年の年明けからランのモチベーションが著しく落ちたこと。
直近1ヶ月で走ったのはトレーニング20km、トレラン37kmのみという酷い体たらく…
三週間前のトレランはほんとぼろぼろだった…
それでも何故かテンションが上がらずに、ついに三週間全く走らず大会を迎えることに…


隠岐の島へのアクセスは米子空港へ飛んでそこからフェリーというのが関東からだと一般的なルート。米子へはスカイマークが就航しているため、問答無用でスカイマークを選択。
米子空港に8時ちょうどに着くので、8時05分の七類港行きのバスに乗ればOK。ギリギリだけどスカイマークの就航実績を見るとこの便はほぼ定刻か定刻前に着いているから大丈夫…だと思っていた(´Д`)目論みは外れ、七類港までタクシー3,400円( ;∀;)
隠岐の島は西郷港に着いてからは受付を済ませ、島根大学の学生による救命処置の講座に参加。AEDを操作できたのは貴重な経験になった。


宿に一度入った後、同じ部屋の方と一緒に前夜祭に参加。地元日本酒で乾杯した後、岩ガキ、サザエ、蕎麦を頂き、ついでに振る舞われたビールも飲んでしまったw

どうせシリアスに走る大会じゃないしと、練習不足のウルトラ初心者がほんとごめんなさいw
ステージでは町長の挨拶と歌の披露の後、地元のバンドのウルトラマラソンのために作った曲を含めたライブ、そして50kmのゲストランナー川内君の挨拶などがあり大いに盛り上がった。



宿に再び戻り、同じ部屋の方から色々アドバイスを受け、準備は整った。
得意の寝言攻撃わ仕掛ける前にイビキ攻撃を喰らい寝付けなかったけど、体調は悪くない。
いよいよレースの時を迎えた。

いわきサンシャインマラソン

遅ればせながら、いわきサンシャインマラソンの結果を。
11日の祝日に家に帰り、12日は会社を休んで14日の朝まで実家で過ごした。
家についてすぐ雪にみまわれ、翌12日の朝には結構積もった。
ふくしまFMの2年目のアナウンサー、矢野真未さんが福島に来て以来一番の雪だったとか。
そんなわけで、直前練習はさぼって家でごろごろ。さすがに前日くらいは筋肉に刺激を、と思って新しくできたトンネルで軽くジョグ。



そして運命の14日、5時に起きて雪の残る実家の村から、いわきへ下山。
いわきの市街地にも意外と雪が残っていてびっくり。マラソンのために結構除雪を頑張ったとか。


で、結果。


いわきサンシャインマラソン

  • 〜05km 23'09"(4'38"/km)
  • 〜10km 23'12"(4'38"/km)
  • 〜15km 23'01"(4'36"/km)
  • 〜20km 22'54"(4'35"/km)
  • 〜25km 23'33"(4'43"/km)
  • 〜30km 25'13"(5'02"/km)
  • 〜35km 36'52"(7'22"/km)
  • 〜40km 40'08"(8'01"/km)
  • 〜ゴール 16'49"(7'37"/km)

ネット:3:54'56"(5'34"/km)
グロス:3:55'14"
総合順位:789位/2486人中(完走者)
種目順位:82位/355人中(完走者)


3時間20分切りを目指していたが、マラソンの教科書に載せたいくらいの見事な大失速で、目標にははるか及ばず。
スタート直後から脇腹に痛みが走るなど、コンディションがいまいちだったにも関わらず、前半から突っ込みすぎたのが原因。
マリンタワーの坂道などで体力を使ってしまい、25km過ぎから足が動かなくなってきて、残り10kmの工業団地の上り坂でついに大失速。
最後の10kmは走って、歩いて、ストレッチして・・・次の1kmがとても遠くて辛かった。
家族にも3時間20分くらいでゴールする予定と伝えていたため、ゴールで待ちくたびれたようだ。遅いと文句を言われてしまった。


楽しみにしていた大会だったので、非常に残念な結果ではあったが、攻めての失速だったので後悔はしていない。
むしろ、今後の長いマラソン人生を考えればこの失敗は必ずプラスになる。
これを糧にもっと強くなりたい。


大会自体は第一回ながら素晴らしいものであった。あまり規模を大きくせず、フルの参加者を3000人としたことが正解だった。
来年以降も規模を拡大せずに、今年の反省点(荷物預けの混乱など)を改善してほしい。
沿道の声援も非常に温かかった。江名港と、アクアマリンの大声援は本当に力になった。
いわきにはあまり良い思い出はないが、それでも3年間過ごした感謝の気持ちで走りきった。


もちろん来年も絶対エントリーする。
来年は29歳以下の部で出れる最後の年。この1年で成長して戻ってきたい。

ベアリス・30km in 熊谷・立正大

いわきサンシャインマラソンでいいタイムを狙うために、30kmの大会(というかイベント?)に出た。
やっぱりひとりでのトレーニングには限界がある。こういうきっかけがないと、30kmなんて走れないし、走ったとしてもペースが保てない。
この大会は第1回ということで、どんなもんか分からなかったが、結果的に出てよかったと思う。
主催者代表の立正大学山西哲郎先生のクリニックが前後にあり、ジョギングについて正しい知識を持っていない俺にとってはとてもよいイベントだった。
参加費4000円は高すぎるけど・・・


ベアリス・30km in 熊谷・立正大

  • 〜05km 23'59"(4'48"/km)
  • 〜10km 23'52"(4'47"/km)
  • 〜15km 23'30"(4'42"/km)
  • 〜20km 23'18"(4'40"/km)
  • 〜25km 23'06"(4'37"/km)
  • 〜30km 22'37"(4'31"/km)

ネット:2:20'37"(4'41"/km)


途中砂利道があったり、コースが狭いところがあったりしたけど、参加者数がそれほど多くなかった(1000人ほど)ため、特に問題はなかった。
5kmの周回コースなので、速い人に抜かされることもあれば、遅い人を抜かすことも合った。みんなマナーが良く、道を譲ってくれたので走りやすかった。


タイム的には大満足。最後の5kmはややきつかったけど、最後はまだ余力があった。この分で行くといわきではまたまた自己ベストの大幅更新が期待できる。
とりあえずの目標はサブ3.5(3時間30分切り)だけど、うまくいけば3時間20分切りもできるかなあ。
3年間住んだ土地だし、非常に楽しみ!


2月14日に向けてしっかり調整するぞ!

京都観光

ちょっと前だけど、バスケ観戦(感染との説も)で京都に行ったついでに観光してきた。
さすがに京都ともなると、テーマを絞らなければとても観光はできない。
与えられた時間も多くはなかったため、幕末の会津藩の史跡を中心に回ることにした。


まずはじめに訪れたのが、京都御所
東京の皇居に来る前は、皇族はこの京都御所にいた。
いくつか門があるのだが、俺が目指したのはもちろん蛤御門。

幕末に長州藩と、御所を守る会津藩薩摩藩がここで衝突した。いわゆる禁門の変蛤御門の変とも)と呼ばれるものである。
梁に弾痕があると聞いていたが、はっきりとは確認できなかった。


続いて金戒光明寺に来たのだが、特別展が10時からとのことだったので、時間がなかったため翌日に改めて来ることに。
仕方なく三条大橋から木屋町界隈にかけてを散策。


まずは三条大橋


池田屋事件のときについたといわれる刀の跡が残っている。


そしてその池田屋事件のあった、池田屋跡。
現在ははなの舞系列の居酒屋となっている。


そして坂本龍馬中岡慎太郎殉難の地。
あまりにも目立たないので何度も通り過ぎてしまったが、サークルKサンクスの前にひっそりとあった。


翌日、特別展示を行っている金戒光明寺に再び足を運んだ。



非公開文化財の特別展示がはじまって2日目ということもあって、10時の開場時には20人ほどの人がいた。
一番の見所は、容保公直筆の辞世の句。
容保公が秋月悌次郎らの藩士と会っていた謁見の間には、ほかにも会津藩に関する貴重な資料が展示されていた。
中庭も見ることができ、容保公が京都守護職としての日々をここで過ごしていたかと思うと、感慨深いものがあった。


金戒光明寺がある黒谷には、会津藩殉難者墓地もある。

実際にこれだけの人が幕末の短い期間に亡くなったのかと思うと、本で読んでいただけの話が現実として突きつけられ、とても重いものを感じた。
もちろんここに葬られている人がすべてではない。そう考えると、余計に重い。


今回はあまり時間がとれなかったが、容保公が150年近くも前に過ごした場所を見ることができて良かった。
会津藩というのは、知れば知るほど立派な藩であったことがわかった。
2月初めに福島に帰るときには、会津若松に行ってみたいと思う。

架空請求

From: crast-abe@docomo.ne.jp
Date: Mon, 18 Jan 2010 10:29:24 +0900 (JST)
To: ****@ezweb.ne.jp
Subject: 【重要通達事項】

?クラストの高松と申します。

弊社は総合情報サイトを提供しております?キャストモバイルより利用規約違反又は、不正利用に至ったお客様のデータベースの抹消、退会事務手続きを受託し、この通達を発行致しております。

貴殿の携帯端末より以前ご登録されました総合情報サイトにて無料お試し期間内での退会手続きが確認できておりません。

登録後、長期放置状態となっており、規約違反に該当する為、現在、利用規約第三条二項に基づき、不正利用者データベースに貴殿の端末情報が登録、開示されている状態でございます。

これ以上現在の状態が続きますと利用規約第四条一項に基づき、法的手段きによる三十万円の違約金請求となりますので、ご理解のほどお願い致します。

退会処理、データベースの抹消手続きについては、下記番号へ翌営業日までにお問合わせ下さいます樣お願い致します。

?クラスト
ご相談窓口:03-6457-7682
受付時間:10:00〜20:00
土曜日:10:00〜18:00
定休日:日曜日
担当:【高松】

(電話番号は、お間違いのないようご注意下さい。)


すごいね、これ。
google検索「クラストの高松と申します。」
何でこんなに報告例があるのに、今だに活動が出来ているんだろう。
あまりにも日本語が稚拙だから誰も引っかからずに、被害も出ていないのかな。
とりあえず警察に報告しておいたけど。

自転車事故


昨日の昼自転車に乗っていたところ、別の自転車にぶつかって転倒し、顔面をアスファルトに擦ってしまった。
現在赤城元農相状態。
こんな怪我滅多にないだろうから、記念写真を撮ってみた。




頬の部分が特に酷く、皮が10mm*10mmの大きさで厚さ1mmくらいめくれた。
あごも結構擦ってしまった。


あのときああしていればとの後悔の気持ちもあるが、すぐに前向きになれた。
もともと楽天的な性格なのだが、飯田史彦先生(今は退官されたので正確には先生ではないが)や、谷本歩実さんの言葉の影響も大きい。
飯田先生の言葉は「人生で起こることには全て意味がある」、谷本さんは「怪我をしたことによって、今までできなかったことができる。怪我をして良かったとすら思える」。
この二人は俺の師匠。


谷本歩実さんの話を聞いたときには、彼女は怪我をしていて練習ができていなかった。それなのに怪我のことを生き生きと話し、全てを前向きに捉える彼女の姿に感銘を受けた。
こんなにしっかりした谷本さんだが、調べてみたら俺と同い年。
世界のトップである谷本さんが怪我で前向きになっているんだから、俺ごときが顔の怪我でへこんでいられない。
俺も谷本さんの真似をして、この怪我を前向きに捉えたい。きっと怪我から学ぶことがあるはず。


とりあえず、自転車は気をつけて運転しないとね。